嘔吐学 vol.2

greenery efficacy

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1. 企画概要

吉野俊太郎 嘔吐学vol.2 DM表 嘔吐学vol.2 DM裏

嘔吐学 vol.2「greenery efficecy」

会期

2021/4/16(金)- 2021/4/25(日)

13:00 - 19:00

会期中無休

会場

WALLA(東京都小平市仲町615-29)


DM デザイン

カワイハルナ

テキスト提供

伊藤亜紗

企画

吉野俊太郎

「嘔吐学」とは、二人展の連続企画です。

本企画ではそれぞれお声がけする2名に、制約付きの展示空間における二人展に挑んでいただきます。


「嘔吐学」というタイトルは、展示者や展示物ではないものから展示自体が干渉されていく様子を不快なもの=ノイズ Noiseとして捉えたところから発展し、決定しました。Noiseとは一説では、古ギリシャ語のNausia(船の-病)などの「船酔い」を意味する言葉が由来であると考えられており、現在の「吐き気」の英表現 Nauseaへとも関係する言葉です。


サルトルは著作『嘔吐(La Nausées)』の中で、主人公ロカンタンのあらゆるものへの吐き気の苦悩を描写しますが、これは個の唯我を脅かす客体の存在に、無限に嫌悪感を抱き、嘔吐として表現してしまうという話にも解釈できるだろうと考え、本展示における展示者や展示物などにとっても同様に、ある「吐き気」を抱き続けながらの展示体験になるだろうと推測しています。


一年前の前回は「作品のある展示室に入れない」という制約のもと開催しましたが、今回第二回では「緑色の光がある」という条件下で、川田龍と北林加奈子の二名の美術家に二人展を展開していただきます。展示者の意図しない光線は、展覧会そのものの印象に影響を及ぼしてしまい、そればかりか作品そのものの意味すらも変容させてしまう危険を孕んでいます。しかもこの作家たちにとって光とは、コンセプトにおいても作品演出においても極めて重要な役割を持つ要素でもある。光という逃れようもない制約空間で、果たして展示とはどのように生成され得るのか、ぜひ多くの方に観測いただければと思います


2. 展示会場の様子

嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 川田龍展示風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 会場風景 嘔吐学vol.2 北林加奈子の作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子の作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子の作品 嘔吐学vol.2 川田龍の作品 嘔吐学vol.2 川田龍の作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子作品 嘔吐学vol.2 北林加奈子作品 嘔吐学vol.2 会場照明 嘔吐学vol.2 会場の非常誘導灯

3. 展示内テキスト『嘔吐学vol.2に寄せて』

会期中には、美学研究者の伊藤亜紗さまにお寄せいただいた以下のテキスト『嘔吐学vol.2に寄せて』を会場内にて公開いたしました。このテキストは「導入文」として、展示の準備期間序盤に作家両名にお渡ししたものです。

 

酸素+デンプン→二酸化炭素+水・・・①

二酸化炭素+水→酸素+デンプン・・・②

周知のとおり、植物は二つの逆向きの仕事を同時に行なっている。すなわち「①呼吸」と「②光合成」だ。一方で二酸化炭素と水を生産ながら、同時にそれを消費しているのである。入れながら出す。行きながら帰る。登りながら降りる。食べながら戻す。再生と逆再生を同時に味わうとは、いったいどのような感覚なのだろうか。

麺類であれば喉越しを感じるたびに口のなかで麺が湧き出すのだろうし、プリンであれば口溶けが良いのに舌は同じスプーンひとすくいを永遠に味わいつづけ、パンであれば噛めば噛むほどパサパサに乾いていくのだろう。

植物は味覚など持たないのではないか、などと言ってはいけない。現に、植物は光を選り好みしている。彼らが好まない色は、端的に言って緑である。緑以外の光を取り込み、逆に緑を跳ね返したり透過したりするから、彼らの体は緑色に見えるのだ。

植物の味覚にとって、緑は不味いのである。しかし、好みというのは簡単に変わりうるものだ。納豆を嫌いだった人がふとしたことで好きになったり、年齢とともに脂っぽいものが苦手になったり。

植物の好みが変ることで、光合成の効率はあがるだろう。緑を含めたあらゆる色の光を吸収するようになれば、そのぶん二酸化炭素の吸収量もアップする。我々を悩ませている地球温暖化の問題は解消するだろう。それとひきかえに、地球上のあらゆる葉が黒色になるが。

4. アフタートーク

話し手: 川田龍北林加奈子 + 吉野俊太郎(本展企画)

 

嘔吐学vol.2 会場照明

会場に設置された照明(白)

吉野俊太郎(以下吉野) どうも、どうも、本展企画者の吉野です。このトークでは、展示作家の川田龍さんと北林加奈子さんに、今回の嘔吐学vol.2 「greenery efficacy」を振り返るというような形で、お話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします!


北林加奈子(以下北林) よろしくお願いします〜!

川田龍(以下川田) よろしくお願いします!


-1. 「緑色の光がある」

吉野 さて……前回、嘔吐学vol.1の時には「展示室に入ることができない」っていう制約・条件で、笹野井ももさんと村松大毅さんに協力いただいて展示をしました。それが……1年1ヶ月前……いや、もう2ヶ月経とうとしているぐらいの頃で。それに続く嘔吐学のシリーズということで、今回は「緑色の光がある」*fig.1 っていう条件で、制約で、WALLAで川田さんと北林さんに展示に参加していただいたっていう感じになりますね。


で、えっと……そうですね、僕の方からは前回に引き続いて、その嘔吐学のルールとして「二人展である」っていうことと。あと僕の方から条件・制約を渡して、でそれ以降はサブタイトル、今回だと「greenery efficacy」とか、展示の構成だったりとかはお二人に完全にお任せした感じで進めてたっていう感じで、間違いないですね。


川田 うんうん。


吉野 で、ここから!

だらっと喋ろうと思うんですけど。北林さんと川田さんでそれぞれに、一応嘔吐学っていう企画に参加していただいた手前、どんなことを思ったか、考えたかっていうのをちょっと伺ってみたいんですけど…川田さんいかがですか?

嘔吐学vol.2 会場風景

fig.1 会場風景:会場に設置された緑色に輝く照明

川田 えっと最初のーその、緑色の光?に。最初はその吉野くんの思った通り、話をいただいた時に、たしかに「緑色の光がある」っていう条件を聞いて、若干ギョッとしたっていうのはマジで、マジで(笑)若干のその、反射的な拒否反応みたいなものは、無かったといえば嘘になるんですよ。


吉野 拒否反応はあったんですね。


川田 ちょっとは、だから最初は「エッ!」と思って。最初から面白いと思ってたわけじゃなくてやっぱりあの、いつもその作品がちゃんと鑑賞できる、というか見える状態を想定して作品描いているわけで。やっぱり緑の光の中に置かれることを想定して絵は描かないので。「それってどうなんだろう?」みたいな反応は、反射的にあったんですよね。でもまあ全然、まあ実際、でもそれでもまあ、全然、全然。不安が1、「出たい」が9くらいで(笑)押し流せるレベルの話だったんですけど。でも実際展示してみて、結局「緑の光はもっと強い方が……」とかあったのがね、なんか自分の中でも想定外だったので面白かったんですけど。


吉野 そうか~、川田さんの方にも最初抵抗感があった、ギョッとしたというのは初めて聞きました。


川田 そうなんです。本音を言えば「マジか?」「緑か~~」みたいな(笑)でもね、どうなるかわからないし、面白そうだなという風に考えを変えて、展示に臨もうと思って。でも実際に展示してみて、昼間がちょっと明るすぎたから、もっと緑が「ウワ、邪魔だ!クソ!」みたいに思うことを想定していたので、結局緑の光を強めるための工作をするっていう謎のムーブをかましてしまって…(笑)


吉野 (笑)一方で北林さんの方は、緑色の光っていう制約に対して「ちょっと考えます」くらいの反応なさってましたよね。


北林 なんか想像がつかなかったっていうのが。実際に搬入するまでは想像つかなかったけど、まず光の色が決まっている展示って無くない?(笑)


川田 無いね。なんかぼんやり、そうそう、いつも自分たちが照明に思うことって、なんか照明の色がどうこうとかさ、角度がどうこうとか、光の量がどれくらいとか、そういうことって意外と煩く気にしちゃうんですよ。作品への影響の仕方はバラバラで、俺も北林さんも違うけど。なんかそういうのをいちいち展示する前に考えるっていうのも……そんなに大きく考えることないから、ちょっとね。


北林 (光の色が)黄色っぽいか、青白い、青っぽいか、とか、それくらいの幅で。実際緑っていうのは極端すぎて。逆に私は面白そうだって最初思ったけど、不安もあるし。なんかすぐには返事しちゃいけない気がして(笑)


川田 北林さんにとっては結構重要なことですもんね。


北林 そうそう、結構光の影響を作品が受けやすい方なので。これはベストな状況で展示できるのかな?とかいろいろ思ったけど、面白そうだって思った気持ちの方が強くて、わりとすぐに参加したいなっていう気持ちが勝ったっていうか。なんか1つの実験みたいな感じで、いつもは考えない……脳の使ってない部位を、普段使ってない筋肉を使うみたいな、使ってない脳の部位を動かすみたいな、これは一種のトレーニング、学びの場だって(笑)


川田 俺なんかはまだ絵だから結構、わりとその、表面に色が当たることって大きい影響ではあるんだけど。具象的な絵画とかってやっぱりその中にも、見え方とかがあったりして、(現実空間と絵画空間で)二重になってる、みたいなところがあるけど。北林さんの場合表面の色の見え方とかがかなり、作品の内容というか要素というか、そういうものもかなりね、影響が出るものだろうとか。そうなったらどうなるんだろう、みたいな好奇心はありましたけどね、北林さんの作品に対してね。

実際、お客さんでもこの展示において北林さんの作品*fig.2 がどう見えてるかとか、光の当たり方とか反射の仕方とかを気にして観てらっしゃる方が結構いたなという印象がありますね。

嘔吐学vol.2 会場風景

fig.2 会場風景:緑色の照明の最も近くに配置された北林作品(下)と川田作品(右)

吉野 隠したりしてる人とかいましたよね。緑色の光をわざと遮ってみて、どう見えるか。その後もう一回戻してみて、どう見えるかっていうのを試している方が結構いらっしゃったなと思って。


北林 いたいた。


川田 実際自分もそういう風にやって、違いを見たりもしていたし。自分の絵なんかはね、日が入っていると絵が観やすいな~くらいのことしか(笑)お客さんもわりとそういう感じで「緑で見づらいな」って反応だったけど、北林さんの場合作品の鑑賞のあれが結構大きく違うっていう感じがして…。


北林 私のは本当に、いつも気にすることで。人口の光よりは自然光が良いとか、グループ展などで「展示場所はどうする?」って時も、事前に希望案を出して、光がより綺麗に当たる場所を確保したり、とか。そういうのは積極的にこう、作品の見え方を考えてやってきました。光の状況の影響は本当にすごい……。でも実際川田さんの作品もめっちゃ影響受けてたよなって後になって思って(笑)搬出の時に通常の光で観て、見え方が全然違くて。


川田 こんな絵だっけ?みたいな。印象がね、緑の光の状況に慣れちゃっていて。なんか緑の光あったほうが良かったかもしれないなって感じになっちゃった(笑)シンプルに、さっぱりしちゃったなって。そういう感覚になっちゃった。


吉野 全く違う状態になりましたよね。

川田 全然違った。だから昼間観にきた方は意外と、普通の作品鑑賞ができちゃったんですよね。


吉野 それだけじゃなくって、昼間を僕らも観ていたわけじゃないですか。昼間観て、夜観て、昼間観て夜観てってずっと繰り返していて、で搬出の日に壁から外してみて、なんか全く違うように観えて。あれ、こんなだっけ?!って。


川田 たしかに、結構違ったかもね。それまでもなんか、なんか昼間のあのくらいの光でもそこそこ影響あったんだなって思ったりはしたけどね。


北林 なんか窓の方とかも覆っていたから、自然光もふんわり奥まで届いてたけど、直接の光は当たってなかったのかな。天井の蛍光灯を復活させた時にオオ?ってなった気がする。


川田 なんか蛍光灯がね。蛍光灯を点けて、自然光が入った時、全然違ったね。

北林 本当に光の影響って大きいんだなって、最後までずっと再確認する感じでした。


川田 「光は大事なんだなぁ~」(笑)

北林 (笑)


-2. 二人展という形式

吉野 なんかすごい間抜けっぽいコメントになっちゃう(笑)


さて、ここまでずっと「緑色の光」に対しての話が続きましたし、結構反応しやすいのかなと思うんですけど、今回二人展っていうのも、ある意味制約の1つではあるじゃないですか。本来であれば二人展って……「本来であれば、」っていうのも本来無いですけど……互いに相手の人がいて、その相手にある程度の納得をしながら自らに二人展に参加していくっていうタイプもあり得ると思うし、 それがもっと多人数のグループ展とかになると余計にそれが強くなったりするのかな~ってなんとなく思ったりするんですけど。今回は僕が、一度も作品が同席したことがないお二人を焚き付けて、合体させて一緒に展示する、みたいな感じじゃないですか。その辺りとかは参加してみて、いかがでしたか?たとえば北林さんからみて、川田さんの作品の隣に来る、とか。最初僕からご依頼をした時にどう思ったか、とかをお聞きしてみたいんですけど。


北林 それも「緑色の光がある」っていう条件と同じくらい重要な意味を持っていることだったし、最初は光の制約と同じくらいのレベルで想像がつかないことだった気がして。イメージできないな~って。でも別に、合わなくはないよな~ともぼんやり思って。想像がつかないから面白いっていうのもあるから、なんかすごく良い相手というか、良いんじゃないかって思いました。並んだ時に相性が良いよなってことが観なくてもわかるような作家さんはいるけど、そういう人たちでもなく。想像つかなさが激しくて(笑)絶対合わないだろって思うような作家さんでもなかったので、エ、そこから?!みたいな。川田さんっていうのが、ちょうど……良いかも?な人選で(笑)だから最初聞いたときは一瞬びっくりしたけど、すぐに問題は何もないなっていう風に、すんなり受け容れましたね。


吉野 僕が来てくださった方とかに聞いていると、「意外な組み合わせだった」という反応が強かった印象ですね。実際に来ていただいてから「納得した」という感想をいただくことも多くって。北林さんの方で展示搬入に至る前にもう既に、ある程度受け容れられている状態にあるっていうのは、僕は逆にちょっとびっくりでした。


北林 まず「意外性があるだろう」っていうのも面白いと思ったし……たしかに出入りするコミュニティとかで考えても、今まで接点はあまり無くって、そういう意外性もある。作風も、遠くもないけど、近くはない、みたいな。違う方向向いてやっているけど、たぶん喧嘩はしなさそうみたいな……なんだろう。ちょっと考えたらすぐに、やるべきだなっていう気がした、感覚的な判断ですけど。意外性があるからこそ、やる価値があるなとも思うし。この二人が一緒にやったらどうなるんだろうって、気になったりワクワクしたりとか、逆に「良くないだろ~」とかって、そういう想像が湧いてきちゃう時点で良いペアだと思いました。


吉野 川田さんの方は最初どうでした?


川田 最初、そもそも二人展とかやったことねえな、と思って。無いと思う。まあ個展かグループ展か、そのどちらかしか経験がなくて。


吉野 あ、無いんですね。三人展が最小?


川田 そうですね、3人はやったことあるけど……二人って、学生の頃とかも……学生の時ってほら、自主企画みたいなことやるじゃないですか……二人展やろう!みたいな感じになっても、どうしても二人って企画の「なんで?」感がどうしても強くなってしまうし…。なんか組み合わせ的にちゃんとバチっとキマってないとダメみたいな、ハードルを感じちゃってやらなかったし。Bambinart Galleryに入っても企画で二人展みたいなこともなかったので……あ、これ難しいな?みたいになったまま出来ず終いだったんです。

なんだかんだ言って、今回嘔吐学だったから「二人展できる!」みたいなところもちょっとあるじゃないですか、たぶんだけど。vol.1の展示も観たし、なんか面白いなって思っちゃってるところからお誘いを貰ったから……うん。で、北林さんでしょ。北林さんの作品も存じ上げてはいたけど「ちょっと計算はできないな?」と思って。「並んでみたい!」みたいな、「一緒の同じ空間に置いてみたい!」みたいな感じの状態であって、「でもそれが良いか悪いかはわからん!」みたいな状態で返事したんですよ(笑)


で結局、嘔吐学云々っていうのを除いて、北林さんと同じ空間でやってみて、めっちゃ良い組み合わせじゃんって、良かった!と思いました。


北林 始まってみてからは一切の不安は……無くなりましたね。

たしかに私も二人展っていうのはほとんど機会が無くって……二人展って一度もやったことないって言ってたけど、思い返せば一回あったなって思って(笑)


吉野 え、その話聞いてみたいです!(笑)どういう……


北林 知り合いに紹介していただいたギャラリーで、そのギャラリー所属の平面の作品を作っている方の、作品を良く魅せられそうな相手として話が回って来て、やることになったんだけど。それこそ作品並べたらすんなり行きそうな作家さんだったけど、初対面の方で作品も初めて拝見して、搬入もバラバラでやって……。作品の相性は悪くはないから形にはなったけど、でもやっぱり私は空間がバラバラしてるように感じて。……なんかモヤっとしたなあという思い出で。


吉野 作品を置いただけ、みたいな?


北林 そう、作品置いただけ。急にお話が来たから、過去作品をいっぱい引っ張り出して来て、配置のバランスだけ考えて設置して。なんか二人展をやったっていう感覚は無くって。二人展ってもうちょっと作品同士が開いた状態で、それぞれの作品がもうちょっと……気持ち悪い言い方すると「対話してる」っていうか「影響与え合っている」っていうか……そういうのを二人展っていう言葉に想像していて。その“二人展”は、お互い別に何も関係していなかったなと思う。


吉野 今回もね、「二人展と捉えて良いのか問題」みたいなのは何と無くありそうな気がするんですよね。展示となった時に、今インスタレーションというのが一般化している、一般化しすぎているような状況で、置けば展覧会になるのかどうかっていうところは僕自身の問題意識にはあるんですが……。


川田 あー、たしかに。それっぽく配置するとめっちゃ展示に見える、みたいなのってあるよね(笑)


吉野 そうそう。二人展とかって……グループ展とかもそうなんですけど、二人展が一番微妙な位置に立っていて……グループ展ほど他の作品に対して散漫にもなり切れないし、かと言って「置くだけ」にした時に、それが二人展になる条件やルールもいまいち掴みづらいよなあ、と。ちょうど良く合っている、あるいは同じテーマで作品作っているんじゃないかという作家を、ちょうど良く選んで、ちょうど良く同じ場所に配置したら、それが二人展になる、みたいな……。本当に?って思うんですよね。


川田 (笑)思っちゃいますよね。


吉野 いや、二人展なんだけど、“展覧会”なのか“陳列”なのかって結構大きな違いだと僕は思っていて。作品を観るときにどこまでを観たらいいのかっていう話にも関係している気がするんですよね。美術館はまだ良いんですけど……作品があって、キャプションがあって、展示空間ってこの辺なんだろうなみたいなのがなんとなくわかるから……、

川田 ……“陳列されている”っていうのがそんなに嫌にならない。実際、作品を陳列してる場でもあるから。二人展になるとその“陳列感”が露骨に出やすい感じしませんか。だから2人ってなるとどうしても「なんでこの2人?」っていうのを観ている側も要求してしまう上に、“陳列感”が無駄に出ちゃう。


北林 やっぱりお互いの領域みたいなものをどう分けているのか。どう分けて、お互い納得した上で“陳列”するのかっていうこととか……。タイプが近い作家ほど、普通にやっても空間成立しちゃうっていうのはあって、それが良い展示にするためには逆にハードルになってしまうっていう気も……。


吉野 僕が嘔吐学を企画するにあたって、毎回WALLAを会場にするのを前提にしているんですけど。まあもちろん、僕がWALLA自体に出入りしているっていうところから、使いやすいっていう実利的な面もありつつ……もう一個良いなと思っているのが、絶妙に狭いことなんですよね。絶妙に狭い。3メートル四方の四角い空間って感じだったと思うんですが、そこで二人展やるとかって、正直ギリ狭い。個展だったらまだ良いかもしれないんですが、二人展をそこでやるとなると確実に、人間で言うパーソナル・スペースみたいなもの……落ち着けない距離を互いに侵犯し合っちゃうんじゃないかなと、展示を企画する上で考えていて。それであえてWALLAを使っているというのが結構大きいんですよね。


しかも今回、緑色の照明を入れる時に、僕の方で「シャッターを閉めます」と。緑色の電球の前にある大きな窓があって……嘔吐学vol.1の時にはその窓の外から中を観るっていうのが展示企画の趣旨になっていて。外から中を観ることはできるんだけど、中に入って作品を近距離で鑑賞することはできないっていう窓は使用していましたが……、その電球の光量を確保するためにもシャッターを閉めてしまったので、余計に逃げ場がない。外光がガラス窓を通して内部空間に侵入するように、作品固有のパーソナル・スペースみたいなものも同様、窓を通した逃げ場があったんじゃないか、という風に直感的に感じる部分があるんですけど。僕が追加した緑色の光も、作品も、シャッターによって逃げられない状況にしてしまって、結果的にあの空間には透明な窓が一枚も無くなってしまっている状況になったわけです。*fig.3


このWALLAの展示室自体には、どう考えていましたか?たとえば、事前にこちらからは「お二人で展示構成を考えてください」とお話しして、結果的には搬入の際にその場で合わせていくっていう風になっていましたけど……それ以前にこの場所でどう展示をしようと考えていたのか。あるいは展示空間にはこんな特徴があるから、どう使おうと思っていた、とか。

嘔吐学vol.2 会場風景

fig.3 会場風景:シャッターは閉められ、窓に暗幕を施している


-3. 展示構成について

川田 たしかにWALLAの展示室自体は狭い空間だなとは思っていたけど、でも一応壁がちゃんとあるじゃないですか。だから自分はそんなに展示することに「困るな」とは思わなかったので。でも「俺ここで個展やるとしたらどう展開したかな」みたいなことは結構シミュレーションしましたね。逆に個展だと、自分はムズいんですよ。


吉野 WALLAで個展をするのが?


川田 WALLAで個展するのは、ちょっと難しいかもって思った……っていうのは、壁面がギャラリーとしては少ない方なので。


吉野 そうですね、ベーシックな壁は二面しかないですもんね。一方にはエアコンが刺さってるし。


川田 そう、だからWALLAで展示をやりたいっていう欲望は、前回の嘔吐学の時からは実は有ったので。いいな~、綺麗だし、と(笑)普通に展示してえ~みたいなのはあったので、だから嬉しかったんですけど。でもいざ在廊中に「これ北林さんの作品があるから空間がバチっと決まって見えるけど、もし無かったら、どうしよう……」「もし自分が個展をやるとしたら、また一段何かを考えなきゃじゃん」「いつもやっているようなノリでの展示はできないぞ」って感じになりましたね。


北林 たしかに印象としては狭いなって思ったのはあって。でも逆に広かったら広かったで難しい部分も出てくるし……程よいのかなっていうのもちょっと思った。たぶん壁のスケールによって川田さんの作品の数やサイズも限られてくるから、それに合わせてこっちが調整していくっていうのもしなきゃな~っていうのは思ったり。でもそこがそんなに、それぞれが想像していた作品のボリューム感に相違がなかったというか。実際搬入までに作品内容についてもそうだし、作品の点数とかサイズも、言うてそんな相談や擦り合わせも直前までしていなかったから、その場の出たとこ勝負感もあったけど。それぞれが想像している空間、こうなるだろうなっていうイメージがわりと近かった、ずれていなかった。すんなり入ったなって思います。


川田 なんか奥の壁面にでかいのをポッと置くっていうのは決めてたので……それがあったから。自分がどうこうできる幅が実は……WALLAだとそう安直にはできないっていうか。実は僕は制限されているなあと思ったから、だからシンプルに決めることができたし、北林さんの作品を観て考えた方が~とかね。展示できる点数も限られているから。


北林 初期段階で川田さんの作品が奥にドーンとくるのが決まっていたのは大きくて。それによって「じゃあ私はこっちの壁には1~2点小さいのを持ってきて、ここは入口になるから……」って考えると、私も置ける什器のサイズ感が限られてきたりとか。「川田さんの作品を離れて鑑賞できるように……」とかも考えると「ここには置けないなあ」とかの制約が発生して、それに良くも悪くも導かれたというのはあって……自由度っていうものがあったわけじゃないのかなって思える。光の位置がここで、奥に大きい作品があって、観客の動線はきっとこうなる……って考えると答えは……別の人に聞いたら、もっと良い案もあったかもしれないけど……、こうなるべくしてなった、みたいな。すんなり決まった感じがある。


吉野 ね、早かったですよね、展示構成を決めるのは。決めた時間はすごい短かった気がする。


北林 あと緑の光が~っていうのも大きかった気がする。


川田 ね、どこから光が当たるっていうのは事前に想定してたから。だから自ずと、どうするべきかっていうのが共有できてたのかもしれませんね。話したりはしてなかったけど。


北林 凝った見せ方をする、っていうのはこちらがするべきではない気もして。緑色の光っていうのはわりと強いテーマだし。


川田 もし逆に「緑の光に超抗ってしまおう!」っていう構成を企むんだったら、めっちゃ打ち合わせしたかもしれないですけどね(笑)


北林 正面突破する気満々だったのかもしれない(笑)緑の光が綺麗に当たる状況を作ろうとした、っていうか。什器とかの他の構成で他の何かが強く目立ってしまうみたいなことは無い方がいいのかなって思って。作品に緑の光が当たっているってだけで、なにか大筋、軸としては成立するから、見せ方でふざけちゃうみたいな馬鹿はする必要ないなって。私の意識にあった、っていうか。だから私の什器や作品に緑の光が当たるように、むしろ空間の中でそれらが邪魔にならないように……そういう展示台*fig.4 でいいなって。結果的に、土壇場で什器の色をどうするかっていうのはドタバタしたけど。

嘔吐学vol.2 会場風景

fig.4 会場風景:北林作品と台座

川田 ね(笑)光の影があんな色になるとは想定できていなかったから……。想定できなかった自体として、それは面白かったけどね。


北林 なんか後から写真で見ると「ここに完全に白い台座があったらどうなるんだろう」とか、今も考えてるけど……結果的にこれらの台座は側面は床の見た目に近い、木地の状態で良かったなーって。(側面も白にしてしまうと、)光を作品より強く受ける、ひとつのオブジェクトになっちゃう危険性があった気がした。


吉野 最初は「台座は全部白くするつもり」とおっしゃってましたもんね。


北林 当時はWALLAにもしばらく行っていなくて、空間のイメージが曖昧だったから、壁と近い色にしておくと安心かなっていう(笑)


川田 安直なのかもしれないけど、展示台と言えば白かなっていうところはあるじゃん、正直(笑)でもあそこで「上だけ塗る」っていうのはわりと良い判断だったな。


北林 壁の延長にするか、床の延長にするかのどっちにするかの意識で……。

吉野 あれ、でも途中グレーっていうプランもありましたよね?


北林 ああ、グレーも考えて。塗装するためのパテ埋めはもうされちゃってたから、その痕が剥き出しになってしまうのってどうなのかなって思って。あと白色だと緑の光の影響をすぐ受けちゃうけど、グレーくらいならいいのかなってちょっと思ったりもしていて。それってなんか作品が全部グレイッシュなのが必然的……。


川田 僕の作品もね、北林さんの作品もね、彩度がすごく高い作品とかじゃないから、たしかに光の影響はかなり受けやすい。


北林 グレーってなんかニュートラルでいいのかな、なんて思ったけど。たしか川田さんにもその時意見聞いたりして。


川田 あの時ね(笑)どうしよ~みたいな。


吉野 それはいつ相談してらしたんですか?


川田 搬入初日の夜に。

北林 夜のうちに決めておかなきゃって時に~。


川田 台座の上に色紙敷いて再現したりして(笑)

北林 「その方がいいよ!」って川田さんが言うから「そうだよな」と(笑)


川田 結果的に、天板塗らないよりは良かったし、側面塗るよりは良かったしって感じの。だったと思うよ。


北林 なんか良かったとは思う。


吉野 そのグレーにするのはどっから来た色だったんですか?どういう判断でグレーも有りとなったんでしょう。


北林 うーん。白だと緑の影響をはっきり受けてしまって、作品より強くなるんじゃないかと思って。


吉野 ああ、だからちょっと暗くしておこう、みたいな?


北林 少しトーンを落とそうかなと思って。真っ白ではないという意味で、彩度を落とした色味……?その時まだ具体的にはイメージできていなかったけど、なんか真っ白ではいけない気がしたっていう。他の色でもないし……そしたら消去法でグレーか?みたいな……。作品の邪魔もしない、光の邪魔もしない、空間の邪魔もしない。消去法でそう思った、という。


吉野 台座の色とか、難しいですよね。


北林 前の作品の時に、一度グレーとかやったことはあって。グレーも綺麗だなあという記憶はあったんです。


-4. 電球のキャラクター

吉野 そうだなあ、台座の話にちょっとつながるかもしれないんですけど……さっき北林さんが「作品の配置とかに関しては全然自由度が無かったかもしれない」っていうようなことをおっしゃってたじゃないですか。で考えてみれば、嘔吐学vol.1の時に僕が設置したのは「窓」と「柵」だったんですよ。WALLAの展示室に入るためのドアを外して、自作したガラス窓をはめ込むっていう。で隣の畳の部屋との間にも木で柵を作って、「展示室に入ることができない」状況を作ってしまうっていうのを行なった*fig.5 んですけど……。嘔吐学で制約を設定するっていう意図で、何かを展示空間にプラスしたりっていうことが多くて(あるいはマイナスもあるのかもしれないけど、マイナスって建物に手を入れなければならなくなってくるので、ちょっと復旧とかの問題もある)。

嘔吐学vol.1 仮設された柵と大窓

fig.5 参考:嘔吐学vol.1「ユー体、後ケイ」の様子(2019)/ 仮設された柵(手前)と大窓(奥)

で、そのプラスを、なんとなくこの緑色の光に関しても前回と同じテンションでやっていたんです。でも実際のところこの「緑色の光」という制約は光だけではなく、その光を発している電球も付いてくる。お二人にも「電球をここに設置します」というのは最初から申し上げていましたけど、僕が搬入以前の段階では、電球が思ったよりもオブジェクトだったということにまだ気がつけていなかった。


川田 もっとただの照明感があるのかなって思ってたんですよ。でも展示の象徴になるくらい、結構印象深くて。


吉野 象徴になりうるということは想像していたんですけど、窓や柵とは全く存在の仕方が違うというか……。


北林 うーん、たしかに。窓や柵とは違うね。


川田 展示会場の覗き“窓”的だったのが、今回は展示会場の中に有ったから。窓も柵も電球もそれぞれ邪魔だけど、邪魔の仕方がちょっとずつ違うのが面白いですね。


吉野 事前にイメージ図とかで、大体同じような状況は僕の方から説明していたと思うんですが……その意味では実際にイメージ通りの設置はできたんです。制約として設置するなら、ある程度うざったさを優先した配置がいいだろうというのを考えて、電球は大体目の高さに設定して。結果的にどういうことが起きたかというと、鑑賞者のうちの3割くらいが電球に頭をぶつけるという(笑)


川田 よくブランブランしてましたよね。


吉野 それは想定していたことだった。別にぶつかってもね、これはそんなに熱くなるタイプじゃないので、危なくはないし、良いだろうと思っていたんですけど……。


北林 たしかにそうなってくると、設備の範囲を越えて、作品の1つというか……すごく大きな意味が。最初から設定されていたから……そのね、スケッチ段階でも「目線の高さで」というのも言っていたと思うし……、それを軸に考えられるのは良かった。


川田 展示の早い段階では僕らはそんなに打ち合わせしてなかったけど、僕のでかい絵が後ろにあるってことと、電球があるってことで決めやすかったというのはあるかもしれない。


北林 たしかに。それだけで空間の大枠は決まるっていうか、そこから大きく外れることはないっていうか。それが展示構成を決めやすかった要因になるのかなあ。すんなり、自然に。抗うっていうのは全然考えてなかった(笑)


川田 ね。

北林 枠作って電球を囲うとかって話したりもしてはいましたけど(笑)


吉野 え、そんなことも話していたんですか。


川田 展示期間中に「別に覆ってしまってもいい」みたいなね。

北林 「木で、箱作って被せても良かった」みたいな。

吉野 あー、僕の方からはね、そんなこと言ったりとかしてましたね。


川田 俺の知り合いとかも「じゃあ壁みたいの、立てるか」とかって(笑)


吉野 今回の企画は衝立を立ててもいいし。まあ電球外すとかは止めてほしいんですけど、電球があるっていう状況にプラスして何か工作するのは別に良いかな~って考えてたので。だから衝立立てる、カーテン掛ける、あとは赤色の光を足すとか、あるいは白色電球を増やして緑色の光の影響を少なくするとかはしても良いですよ~とは考えていたんですけどね。結果的に全然抗う気なさそうだし、会期始まってから「もっと緑色欲しいかも」とか言って(笑)


北林 素直な二人だったのかもしれない。


吉野 優等生!

北林 優等生的だったかもしれないですね~(笑)


川田 これもっと抗って、吉野くんが「この企画意味ないやんけ」と思うくらい緑に抗ったら面白いのかなとも思ったんだけど。全然グリーンじゃない、みたいな(笑)


吉野 でも実は抗っていただくのは少し期待はしていたんですよね。


北林 え、そうなんだ。


川田 最終的なオモロさというのは、もしかしたらそっちの方がデカかったかもしれないな~というのはギリしたんだよね。吉野くんは緑色の光点けてますというのをアピールしてたけど、行ったらバキバキに別の色の照明当たってるみたいな(笑)


吉野 「DMあんな緑色なのに、行ってみたら全然緑ちゃうやん」みたいなね(笑)


川田 もっと緑の光量めっちゃ強いとかだったら、そういうノリになったかもしれないけどね。


北林 窓を塞ぐか塞がないか問題みたいなのもあったけど、そこに関しては緑の光と展示作家が拮抗している感じはあったかも。


川田 あったね。やっぱり自然光も欲しいなみたいなのも。


北林 やっぱり何を大事にするかで変わるなって。たしかに真緑のDM見て、展示タイトルにも“green”が入っていて、それで観に来るお客さんからしたら「もっと緑かと思った」ってみんな思うだろうな~って。


吉野 そうですよね。よく考えたらサブタイトルに「greenery efficacy」=「緑の効能」と名付けている時点で、緑に抗う気ゼロなんですよね(笑)


川田 面白がっちゃったみたいなところはある(笑)だから最初は吉野くんの読み通り、俺も若干の戸惑いがあったけど……でもこれがもっと「嫌がるくらい緑の光当てまーす!」の感じだったら、「ヨーシ、抗っちゃうぞ」みたいな気持ちにもなってたかもしれない(笑)


吉野 当初期待してたのは、緑色の電球を極端に嫌がった結果、何らかの工作を施したとしたら、そのためのオブジェクトが一個増えるじゃないですか。その様子が面白いんじゃないかなという風に……だからそれが無くて残念でしたって意味ではないんですけど……そういう状況もアリだし、むしろそうやってオブジェクトが一個、展示物と全く関係ないはずなのに一個増えてしまう状況も、ちょっと観てみたかったというのはあるんですよね。


北林 たしかに。それを想像して、また違う面白さを…うん、楽しそう。

吉野 でもやっぱり北林さんには“面白さ”なんですね(笑)


北林 でも私と川田さんはそうはしないタイプだったっていう(笑)緑の光を受けて作品がどう見えるのかってことに、たぶんワクワクしてたし。緑の光から逃げるっていう選択は性格上できなかった。わざと当たるように配置しちゃったもん。


川田 普段だったらね、意味もなく緑の光当てられるとかに対しては全力で防御してたと思うんですよ、普通に。グループ展とかで隣に緑の光を発している作品が有るとかだったら「ヤベーなそれ」「それは嫌だな」って。


北林 グループ展とかだったらみんなで抗議する、みたいなね。それくらい、作品に対しては暴力……危害なんだけど、最初から「引き受けちゃったからな~……」みたいな(笑)引き受けちゃったからには当たりに行かないと失礼だ、って。


川田 あと吉野くんが「依頼を断られるかもしれない」という危惧からそこまで光を強くしないと説明してたのもね、そういうのもあるよね。もし吉野くんが「邪魔します!!!!」「鑑賞できないようにします!!!!」みたいな感じで来てたら「オー、なんだこの野郎」みたいな感じの抵抗の仕方を僕らもしたかもしれない(笑)


-5. 展示作品について

吉野 さて、こんなところで作品個別にも触れておきたいのですが……僕もね、作品ごとにはそんなにちゃんと話をお聞きできていないというのも有るので、改めて。やっぱり最初は一番大きい、川田さんの作品から伺ってもいいですか……?タイトルには《Golyat(wig,baloon)》*fig.6 とありますが。

嘔吐学vol.2 川田龍作品

fig.6 川田龍《Golyat(wig,baloon)》(2021)

カラヴァッジョ《ゴリアテの首を持つダビデ》

fig.7 参考:Caravaggio《David with the Head of Goliath》(1610)

川田 まあこれはどこがゴリアテなんっていうのもあるかもしれませんが……。カラヴァッジョの《ゴリアテを首を持つダビデ》*fig.7 、旧約聖書の場面を描いたものを主題に借りて、そのポーズをモデルさんにやってもらったんですよね。描くにあたって、当然ゴリアテの首は手に入らないですから(笑)どこにでも売っているもの、空気の入った白い風船と2000円くらいで安く売っていたカツラをモチーフにして描いた作品です。


緑の光とかは特に今回は全然。光の方向とかはなんとなく頭にあったから、同じ方向から光が当たっている絵だなとなるようにちょっと意識して……どんな絵にしようかなと思った時に思い浮かんだのがカラヴァッジョの《ゴリアテの~》なんですよね。


吉野 なんか川田さんの作品って前々から……そりゃそうだろ画風的にも、とは思うんですが……絵画内に空間があるってことを強く念頭に置かれてらっしゃるなと思うんですよね。絵画空間の光の方向と実際の展示空間の光の方向とを重ねているということですが……ただ画面の表面に光をあてる意識ってわけではないところで。


川田 なんかその空間の中での光と、外での光は普通に考えても繋がらないっていうか。ゆえに絵画は光の影響というのを受けないこともある。だけどそこと現実の光があえてリンクするところがあったら面白いなっていうことはちょっと考えていたんですよ。


吉野 これ写真を改めて見ると、画面の奥にある空間に対しても緑色の光の影響がありますよね。中の光も、緑色の電球がどこかにありそうに見えちゃっていて。


川田 光の方向がリンクしているっていうのも理由の一つかもしれないけど、なんか実際に緑の光当てた様子を描いた絵みたいになってましたよね(笑)


吉野 そんな感じになっていますよね(笑)でも、実際は白色の光を使用されていたんですよね?


川田 白い照明です。LEDの投光器使ったんですけど、真っ白の……だから会場での見え方が面白いなとは思いました。


北林 たしかに緑の光当てているように見えますよね、現場にも緑の光が存在してそうに見える。


川田 そういう絵でも面白かったかなって思いますね、緑の照明使ってモデル照らして(笑)

吉野 そうすると緑色の光・オン・緑色の光になっちゃう(笑)


川田 もう見辛いなんてもんじゃない、どっちが緑なのかわかんないみたいな(笑)


吉野 そこにこのゴリアテの首、と。


川田 カラヴァッジョの絵の中からゴリアテも決めたんです。「光が関係する」っていうんだったら、カラヴァッジョも画中の“光線”を、一つの基準にした絵描きじゃないですか、だから選んだっていうのもあって。かつ、単純に描きたいなと個人的に思っていた構図がこの絵だったんですよね。

嘔吐学vol.2 川田龍作品

fig.8 川田龍《Golyat 2(wig,baloon)》(2021)

吉野 なるほどー。もう一つあった小さい絵*fig.8 の方も、あれもゴリアテだったと思うんですけど。


川田 あれはカラヴァッジョからも分離していて。西洋絵画において生首が登場する絵ってめっちゃ多いんですよね。自分もそれ何度も描いていて、それで今回も「首」だったっていうのがあったので、それとセットに。


吉野 以前も川田さんはセルフポートレートとしてご自身の生首*fig.9 を描いていますよね。断頭された洗礼者ヨハネの首に擬えていたかな、あの時は。


川田 デッサンの絵かな。

吉野 そうそう、あの白黒のやつ。


川田 あれ実は、予備校で描いたっていう話しましたっけ?(笑)

吉野 あれ予備校生の時なんですか?!というと何年?!


川田 2012年とかかな。

吉野 ヒョエ~~!


川田 初期の……しかも講評会の時に描いてたんですよ。当時何描いたらいいかわからなくて、どうしよって。で講評始まってから描いて……紙は木炭紙大なんですけど……思いつきでパッとその時に描いた絵なんだよね。

川田龍 過去作品

fig.9 参考:川田龍 木炭デッサン(2012)

吉野 なにそれ、そんなパッと思いつきで描いた絵が……構図も何だか今回の作品に似ていますよね、頭が斜め上の方向を向いていて。違いましたっけ?


川田 そうですそうです。ポロっと描いた絵だったけど結構気に入っている絵だったので……そうそう。「一見身の無いものに置き換えたろ」みたいな欲望が僕はいつもどうしてもあるので。だから風船に置き換えちゃったりとかね。


吉野 そうですね、風船にウィッグってだいぶ馬鹿らしいもの……爪たてたら割れて消える、みたいな世界ですもんね。


川田 そうなんですよね(笑)


吉野 この風船の“丸”の形に、鑑賞者は結構反応していて。このゴリアテ頭部としての“丸”と、ダビデ役の……影で黒くなったとおっしゃってましたけど、黒く塗りつぶされたように見えなくも無い……不穏な黒い“丸”。そしてそのこの絵画のすぐ右隣にあった北林作品《荷》*fig.10 にくっ付いている球体の“丸”……これらを対応させながら鑑賞している方も居て。


川田 なんだかすごいリンクの仕方をしてしまったと思ったんだけど、全然意図はしていなかったんです。


吉野 まるで川田作品と北林作品で合わせ鏡をしているかのような……全然形は違うんですけど。《荷》の方から言えば、左の大きい白い“丸”は川田さんの絵で言うゴリアテの頭で、右上の木製の球の“丸”はダビデの頭。そういう風に位置的には見ることもできますよね。「これは予定調和ですか」と確認してくる方もいましたね。


川田 これは本当の偶然なんだけど……ね、関連がない方が変なくらいの。

吉野 そしてその対角線上に電球の“丸”がある、という。

嘔吐学vol.2 北林加奈子作品

fig.10 北林加奈子《荷》(2021)

嘔吐学vol.2 北林加奈子作品

fig.11 北林加奈子《a face of project》《a body of project》(共に2021)

川田 あと北林さんの、胴体を象った作品(《a body of project》)と、頭部の作品(《a face of project》)もありましたよね。*fig.11


北林 たしかに胴体と顔ですね、これは。なんか光を当てる実験という意味で、今回の被験体というか。実際影響しているのは、私が最近経験したこともあって。自分の体とか、顔もちょっと痙攣したりとかする症状があって。そういう自分の身体感覚への関心が異常に強まっていたので、そういうのが影響して今一番関心があるものに……緑色の光、当ててみたくなるじゃない?(笑)


吉野 ……っていう言い方だとこれが関心のあるものとして、自分自身の身体に成り代るものとして扱っているということにもなるんですかね?文字通り、身代わりというか。


北林 そうかも。今まで経験したことがないような……些細なことだけど、緑色の光って。それを何に当てたら面白いかっていうところで考えた時に無理がないなって思ったから、自分の関心そのままに作ってしまったっていう感じかな。


なんか緑の光っていうものにどういう答えを出そうっていうのは色々考えて。最初は植物とか、そういうところを繋げていたので、低い台座に載っている2点《応答 -1》*fig.12 《応答 -2》は、割と植物の要素が強くて。植物の要素というか、光を効率よく吸収して自分の身体に影響を与えるというか。そういうために植物も葉っぱを重ならないように互い違いにしたりして、効率よく光を受けようとしたり、光の方向に首を伸ばしたりだとかをやっている様子がすごく……。


川田 なんか個人的に連想してたんですけど、太陽光の役割をするライトみたいなもの、わかりますか?ほら、室内の植物に光合成をさせるために光を当てているライトのような、そういう風にずっと思っていて。


北林 そういうイメージかもしれないです。


川田 あの作品は緑色の光の下にあったし、なんか太陽光ライトみたいだなってずっと思って。


北林 そういう、明らかに不自然な設定の光だけど、そこからでも栄養を吸収しようとしたりしていて一生懸命、角度を変えたり蔓を伸ばしたりしていって実際に室内栽培みたいな科学技術の情景とかも、なんか不気味さを感じたりもして。こんな偽物の光なのに、健気に栄養を吸収しようとしてるやん、みたいな……。「昨日と角度違う!」とかの微妙な植物の変化に「生きてる!」って感じる、……生きていることは当然の事実なんだけど……それに同時にちょっとした不気味さも感じるみたいな。ぞわっとする感じというか、そういう感覚も込めたいなというのがあって。それを実際の植物の要素に、直接的ではない表現で、質感とか、形状の表現でできたらいいなって思ってました。光を受けて、本当に今日と明日で変わってそうっていうか……そういうことの面白さが出たらいいなあっていう二点です。それは今回の「緑色の光」っていう条件がなかったら発想しなかったことだなと思う。


吉野 じゃあ北林さんだけの話で言うと、展示空間の中に植物性のものと、自分の身体を含む動物性のものとで二種類以上存在していたってことなんですね。

嘔吐学vol.2 北林加奈子作品

fig.12 北林加奈子《応答 -1》(2021)

北林 たしかに。そういう意味では何シリーズかあったって感じかな。


吉野 タイトルの種別も、過去作が一点と《荷》が近くにあって、身体と顔の作品がセットであって、植物のイメージの作品がこれまたセットであって……大きく三つの島があるというか。


川田 隅にあった過去作《目に見える感触 -2》*fig.13 も若干植物風ですよね。緑色の光の方に何かが伸びていて。


吉野 これはね、かなりわざとらしいというか(笑)


北林 そうなんです(笑)主張が強いんですよね。


川田 だから結構、光の方向とか、全ての作品の要素が繋がってるよね。


北林 造る工程を思い返すと、光を受けて、具体的な質感、表面のことを考えると、光を受けたときに面白いかたちにしようとか、そういう具体的なことも意識しながら全部制作はしていたのかなって思う。過去作の《目に見える感触 -2》に関しては、わかりやすく言うと触手。「感じ取ろう」っていうか……神経の先端みたいなものを今回の主役である緑色の光の方に、すごく遠いところから伸ばしている様子が、すごくやってみたかった。


吉野 一応、僕は北林作品のファンでもあるからお呼びしたというのも一つにはあるんですけど、そのファン的な目線で言うと、今回の北林さんの展示作品からは気持ち悪さを強く感じられて……そういえば鑑賞者の感想でも“生々しい”というのがありました……、なんでしょう、これまでの北林作品だと2019年の個展で「骨壷」とタイトルに付けられていたりとか。骨壷って要するに壺だから、動かないわけじゃないですか、その延長上で北林作品を最近まで見ていたところはあったんです。窓際に置いていても心配いらないとか、暗いところに置いていても怖くないとか、そんな感じがしていたんですけど、今回の北林作品ではほとんど全てに動きを感じる。ただどこかを向いているってだけなのかもしれないけども、もの自体が光に対して反応を示しているっていう「こいつ…動くぞ!」みたいな、「感情を持っているのか?」みたいな風にも感じられてしまうっていう意味ではたしかに“生々しい”。今までに感じていたこととは全く異なる感想を持つ作品群だなと思うんですよね。


北林 それは意識もしてたし……コロナも含めた今の状況、個人的なことや身体の不調とかで、何か思うように身体が動かないとか、何かそういうことに対する、飢餓感っていうのかな。緑色の光に手を伸ばそうとする感じの……。満たされていない生き物たちみたいなものを作りたいなって思ってたんです。そういうものたちが緑色の光っていう強い存在に触手を伸ばしていたり、とにかく当たりに行ってるというか。吸収している、影響を受けたい、身体も変わりたいというような、そういう状態を作りたいなと思って。その光を受けて、これトランスフォームするんじゃないか?みたいな……そういう印象を与えたいと考えていたのは確かですね。


吉野 最初の方では「自由度そんなにない」というようなことをおっしゃってましたけど、結構色々やっていたんですね、そう考えると(笑)対して、川田さんの方は緑色の光に対してはクールに振る舞っているというか。僕自身、川田作品に対して絵画内での演出……バルーンやウィッグを使って、ゴリアテの頭部を見せるだったりとか。棒を持たせてそれを剣のように見せるとか、ただポーズを模倣しているだけなのに。あるいは光を調整することで、技法によってカラヴァッジョを引用してみせるとか……、そういうことを普段からされているし、今回もされているので、結果的に緑色の光に対してもただの演出道具くらいにしか思っていないかのような距離感を感じるんですよ。なんですけど、北林さんのお話とかを伺っていると、確実に北林さんは演出道具以上の何かにすり替えて緑色の光を見ているというか。


川田 (笑)だから、緑色の光が遮られちゃいけなかったのは多分俺よりも、迎合しようとした北林さんの方で。自分なんかは、緑色の光に邪魔をされようとしたんです。なんだけど、北林さんの場合は緑色の光っていうのが制作の内容に関係していたというか。「緑色の光は無いとなあ」っていうのが有ったと思うんですよ。だからおそらく僕と北林さんの「緑色の光が無いとなあ」っていうのは、ちょっと違う感覚だったんじゃないか。


吉野 そうですね。北林さんの方はだいぶハングリーな意味で(笑)「あなたなしでは生きられません」感がちょっとある。

嘔吐学vol.2 北林加奈子作品

fig.13 北林加奈子《目に見える感触 -2》(2017)

北林 重いな(笑)


吉野 川田さんのはあくまで道具として「これくらい強く当たっていたほうがいい」とか、逆に「弱めたほうがいい」とか……やはりあくまで道具なんですよね。


北林 私の作品は本当に光の影響を大きく受けるなって元々思っていて。緑色の光を受けたら、作品が緑色になるわけじゃない。それってすごく大きいことだなあと思って。


吉野 僕が北林さんを嘔吐学にお誘いしようと思ったのはめちゃくちゃに早くて。嘔吐学って企画がまだ無かった時、Kanzan Galleryでやっていたグループ展を拝見した時あたりから「色のある光の展示空間に陥ったらどうなるんだろう」っていうのを考えて。そこからずっと引きずっていたのを嘔吐学として改めてお声がけしたというのがあるんですよね。Kanzan Galleryでの展示の際には、たしか極端に会場が白かったんですよね。白い中に作品を置いてあって、白が眩しいくらいの印象だったんですが……でも「ちょうどいいな」とも思ったんです。北林さんの作品が存在して鑑賞されるには、これがベターな状況なんだろうなっていう感覚があった。


そう思って、北林さんはこういう場所、今回の嘔吐学の会場みたいな環境では展示をしないし、おそらく断るんだろうなという風になんとなく想像していて。でも実際のところは今回の嘔吐学で「緑色の光」の条件をお渡ししたら、最終的には「光の影響が弱い、もうちょっと強くしよう」と北林さんはおっしゃられて、ドアの磨りガラスの窓部分が……ここは当初は塞いでいないはずだったんですが……お二人の判断によって暗幕で塞がれることになるという。その経緯がすごい面白いですよね。


北林 真面目なんだな、私たちって(笑)めっちゃ緑について調べたもん、うなされるかと思ったこともありました。


川田 サブタイトルを考える時難航しましたよね。


吉野 すごい難航してましたよね、大変そうだった(笑)


北林 意外ととっかかりがなくて。結局緑色っていうところしか、まだ確実に今回の展示の軸になるものが無かったから、そこを使うしかなかった。


吉野 たとえば前回の「ユー体、後ケイ」なら「ユー体」の方が笹野井ももさんで「後ケイ」の方が村松さんみたいな感じで。二人の役がはっきり分かれていて、それが読点で繋がっているっていうタイトルだったんですけど……そういった、二人いるから二人分のタイトルをそれぞれ付けて合成するっていうタイトルのパターンと、もう一つがそれぞれが互いの作品を批評しあって見つけた共通点で一個のタイトルを付けるパターン。そしてもう一つが展示条件に合わせたタイトルを付けてしまうというパターン、今回だったら緑色だから“greenery”っていうような。


そうした三つのタイトルの付け方の中で、結局“greenery”に行ったのは僕は正直残念で(笑)あ、条件に合わせて来たんだ~、そっちか~みたいな感じに……ぶっちゃけてしまうと思ったりもしたんですけど。でも鑑賞者の方の感想で「緑色の光がないとこの展示は成立しないだろう」みたいな感想をいただいたりもしていて。「二人の作品が並ぶ間に、緑色の光が大きく効果しているだろう」みたいな。そのことを考えると、なんだか必然のタイトルであるとも思える。


北林 僕らが別々のタイトルを付けてそれを並べるとかだと、分裂しちゃった気がするんですよ。笹野井さんと村松さんはそんなに分裂感ないんですけど。僕らの場合はマジで別のことを考えて別の作品を展示しただろうから(笑)それがちょっと怖いかなっていうのはありました。


北林 結構想像できたんですよね、そういうのが。やっぱり緑色の光っていうのが客観的に考えても強い条件だなっていうのは有ったから、どんなに強い作品を展示したって緑っていうのが影響してくるし。どう足掻いても緑からは逃げられないからなっていう。ならば緑色の光からどんな効能を得るか、影響を受けるかっていうのを純粋に真正面からやるっていう意味で、展示タイトルとしては必然性があったんです。


-6. 二人の共通点

吉野 個別の作品の話を伺ってみて……別々のコンセプトを持っていて別々の視点にある作品で~っていう話はずっと続いていたんですが、一方で、お二人が遠からずだと感じるところもありました。


たとえば会期中に川田さんの絵のモデルを務められた方もいらっしゃいましたよね、描かれた絵と同様に、胸の部分に心臓の病を治療されたという手術痕があって……のようなその方からお話があったり。あとは川田さんが絵の中の衣服に関する説明をされていたときに「衣服は身分などのステータスを表してしまうから、できるだけ匿名にするべく、“裸”を選択することが多い」っていう話をされていて。他にも掲げられた生首のイメージなど、結果的に「肉体」が前面に出てくる作品になっている。

北林さんの方は、今回の展示会期を実は1ヶ月ずらして、その間で入院をされている。その期間が反映されてか、身体に対して意識がすこし強まったりして、結果「これらの作品を作らざるを得なくなった」と説明されたような、顔・身体の一対の作品が生まれた。


なんだろう、ほとんど全ての美術作品に同じことが言えてしまうのかもしれないが、それにしたって、この展示空間内に頻出する“丸”の数と同じくらい、Bodyというのも……類似が見られるかもなあと。僕も当初、そこまで共通点があるお二人だとは特に考えていなかったんですよ。緑色の電球をそれぞれ違う角度から作用させて、結果それが同空間で交わる。効能として交わってくるところがあるだろうくらいに考えていたんですけど……展示してみると「納得した」という感想が出てきたことに違わず、共通点・共有点というのがすごい沢山あって、それが不思議だったし。それにここまで共有されてしまうと、もう個別にコンセプトを持っているとかがちょっと関係なく、二人展という構成に意味が出始めてくる。そういうのは思いました。

嘔吐学vol.2 搬入での川田龍

fig.14 会場にて加筆する作家 / 画面上部に手術痕が描写されている

北林 最初搬入の時に川田さんの大きな作品を初めて観た時に「これ(モデル)は友達で、彼はこういうことで死にかけたんですよ~」「こういうことがあった人で」と川田さんから聞いて、なんか私も自分自身と重なるところを感じたというか。急に自分の身体に襲いかかって……襲いかかるというと大げさだけど、普通に自分の身に起こること?すごく親近感を感じてしまって。私とは全然違う症状だし、苦しみ方も全然違うけど、「自分の身体が不完全になる」っていうか。そういうところでなんだかリンクしてるなと思ってしまって。モデルさんご本人が観に来てくださった時も「体調がまだ戻ってないから、来るのも一苦労……」みたいなことを。


川田 軽い運動でも心臓がバクバクしちゃって、本当は運動できないんですけどね。遠い中でも来てくれました。


北林 それに対しても私なんだか心配になっちゃって。私もWALLAに来ることが久々の遠出だったから(笑)最初通えるかなって思ったくらいで。私は全然元気だけど、最初過ぎった不安みたいなものを抱えてここまで来てくださったんだな~と、ちょっとウルっと来ちゃって。「帰り気をつけてください~!」みたいな(笑)


川田 自分の作品のことになっちゃうけど……やっぱり僕は作品に関しては「光を描くことによって〈絵画〉に見せかける」ことに通じて、たとえば服を着せなかったりすることによって、モデルその人であることはさほど重要じゃないですよと。そのモデルがどういう経験をしているとかを若干無視しているところがあるんですけど。


吉野 意図せず、事実を写実するための小道具になってしまいますもんね。


川田 そうそう。でもそれを剥ぎ取ることによって逆に生々しい部分、そういう部分が強調されちゃうみたいなことは、あるし。実際自分の制作過程において、今回のモデルさんは配慮しなければならない状態にもあったので……僕の意志と反して、出ている部分はあるかもしれないなと。手術痕も隠さずに描いたし。


吉野 手術痕のあたりとかは、会場に持ち込まれたあともちょっとだけ手を加えたりとか、かなり気にしてらっしゃる様子*fig.14 ありましたもんね。


川田 そうなんですよね。


北林 なんかその痛々しさと、でも顔がちょうどよく隠れていて匿名性のある。その誰かはわからないけど痛々しさだけがヒリヒリする感じとかはなんか……グッときました(笑)


でもなんか打ち合わせもなしに、偶然にも自分の身体と向き合う時間をすごく長く与えられてしまったという意味で……もっと匿名性のある形で、顔もなければ、形ももっと曖昧で、粘土の塊に何か自分のそういう経験を込めてしまった作品が……こういう風に同じ空間に並ぶのは全然想像してなかったから、指摘された時も「やっぱ伝わりますよね?」みたいな不思議な気持ちだったし(笑)川田さんの作品も結構予見している気がしてしまって、不思議でしかなかった。


吉野 互いの作品意識とかは全然してなかったんですよね。


川田 それはそうですね。どんなのが来るかなーくらいは思ったけど。


吉野 なんなら、川田さんの方は「北林さんの作品のオマージュが入ってる」とか言われたら、なんか納得しそうな勢いすらある。


川田 (笑)そうですよね。なんか、展示準備期間に北林さんの作品画像とかも一応観てたし、自ずと頭の中に構成とか色とかのそういう感じが入ってきちゃってたかもなーとかはありますね。めちゃめちゃ無意識に……。


北林 絶対そうな気がする!


-7. おわりに

嘔吐学vol.2 会場風景

fig.15 会場風景

吉野 いいですね(笑)二人展って、そういうところ面白いですよね。だって相手にするのは一人しかいないわけじゃないですか。だから相手の一人に対してどうしても意識が回ってしまうというか。あの人はどういう作品作るんだろう、こういう作品を作る気がするから、じゃあ僕はこう行こう、みたいな戦略を練り始める可能性もあって。まあ、今回それが意識的には行われなかったにせよ、結果的にここまで出てしまうっていうのは、無意識で起きていたとか、そういうことも妄想はできるかもしれないし。それがどれくらい嘘なのか、ドリームなのか、本当なのかというのはちょっとわかりかねますが。


北林 なんか……今から言ってしまうと説得力はないかもしれないんですけど(笑)ちょっと液状的なっていうか、そういう表現をしても川田さんの作品と同じ空間だったら受け止めてもらえそうな安心感が。逆に川田さんの作品がすごく劇的な、構図だったり物語があって人の目に入る、そういう強い作品だから。それに負けないようにっていうのは思っていたかも。だからもしかすると緑色の光も相俟って、いつもより強度のある表現をしようという意識はあったのかもなとも思ったり。そういう風にお互いなんとなくは意識していたかもしれないですね。


川田 それはあったかもしれない。こんなに打ち合わせしたかのような展示になるとは思わなかった。


北林 なんか……よかったな~と思います(笑)

川田 いや、めちゃめちゃよかったと思います(笑)感想としては。


吉野 だったら企画側としても嬉しいですけどね(笑)でも、これと嘔吐学って……“嘔吐”ってそもそも拒絶反応なので好意的ではない単語ですが……生理反応としての拒絶みたいなところで今回もお二人も“嘔吐”しなかったみたいなのは。それはそれで良いことなんですけど、いつか「この展示全然良くなかったかもしれない」みたいな感想が、嘔吐学vol.3なのかvol.4なのかのところで現れたら良いなと若干あります(笑)


川田 吉野さんの誘い方だったりとか、提案の内容などで、参加する作家のノリも変わって来るかもしれないし。


吉野 そうですよね。条件が毎度、クロースアップする部分が違うので。別に次「赤色の光がある」とかをやるわけもなく。取り上げる気の散り方……鑑賞するときに作品じゃないところに意識が飛んでしまうというのは僕が制約を決める際に重要視しているところなので。「気になっちゃう」みたいなこと、窓越しなら窓ガラス気になってしまうし、柵越しなら距離感が気になってしまうし。で緑色の電球なら、作品と光との間に紙とかを差し込んで、光の影響を確認してしまったりとか……やっぱり実際の姿と今の姿の違いを気にしてしまったりすると思うんです。そういう気になるポイントをずらしていく時にどういった反応が起きてくるかというのは僕自身もわからないところではあるので。

結果的に今回の企画を終えてみて、ここまで満足度の高い展示になってしまったのは「良いのか……?」と嘔吐学主催としては省みつつ、やっていただけて良かったなという気持ちではあります。


川田 (笑)


吉野 と、ここまでで概ねお話伺えたと思うんですけど、いかがですか。何か展示の告知などはございますか?


川田 2021年8月20日から石川県金沢市で開催される「ストレンジャーによろしく」という芸術祭に参加します!友人アーティストが主催する芸術祭で、今度は二人どころじゃなくて、すげー大人数なんですよ(笑)今回はすごい上品な展示をしたつもりがあるので、これはちょっとどう転ぶか…!(笑)ぜひ夏の金沢へ。


北林 行けたら……行きたいな!


吉野 大人数だとどうなるか…!

北林さんの方はいかがですか?


北林 上海のギャラリーで秋頃展示するのですが、まだ詳細未定です。国内でのお知らせも今のところなく……。またSNSウェブサイトでお知らせするのでぜひチェックをお願いします!


吉野 ありがとうございます!

では……こんなところで終わりにしたいと思います。ありがとうございました!


北林 ありがとうございました~!


川田 ありがとうございました!


おわり

嘔吐学vol.2 会場の非常誘導灯

5. アフターテキスト:

「嘔吐学vol.2をめぐって(強い光に注意されたし)」

書き手:吉野俊太郎(本展企画)

煌々と照らされる展示作品たち。その輝きは照明によって照らされることで一段と明快なものに写るだろうが、しかし照明効果が増幅していたのは対象の輝きではなく、我々の受け取る視覚情報の、その信用ならなさの方なのではないだろうか。

少なくとも展示空間においてはどんなにみすぼらしい塵屑であっても、一度照明が照らしてしまえば何か意味ありげなオブジェに見えてきてしまうもので、だからこそ観る者の前に置かれたものが魅惑的に見えたときは、それが何によって魅惑たり得ているのか、よくよく注意を払わなければならない。さもなければ、観る者は簡単にあらゆる展示物に恋してしまうはずだ。注意されたし、対象は光によって操演されている。よく観察すれば気がつけるはずなのだ、対象が金銀に鋳造されたレリーフであれ、宝石で彩られた彫刻であれ、物体単独が確定された視覚的美を内包して保証しているなどということはありえないということに。とはいえ、そこに疑心を抱くか心酔するかは大方、観る者に委ねられているのだが。

そういえばこのアーカイブサイトを制作している最中、横目で東京オリンピックの閉会式を観た。「白い光の粒に変わりました」「そして、光が上空へと舞い上がっていきます」「この中には選手たちが掲げるスマートフォンの光も入っているということです」「選手たちも一体となってこの瞬間を作り上げているということなんですね」……そう解説されて中継された、五輪のシンボルを形作る光の粒が実は中継映像用のCGであったと市井に知れ渡った時、「このシーン’だけ’は良かった」との声も聞かれた当該シーンへの評価が、後日SNSなどで即座にひっくり返っていくのを多く目撃した。一方で無観客の今大会閉会式をスタジアムで直に目撃したのは五輪大会の重役か選手、あるいはパフォーマー、サポーター、ボランティアスタッフなりの、比較してもごく少数の者のみだろう。よってほとんどの者は、テレビやスマホなどの光学機器の発する光の粒を介して鑑賞していたわけで……それなのにも関わらず“CG”か否か、その点において感想が二つに分かれるということに、僕は何やら奇術の煌めきのようなものを感じたのだった。


展示者:川田龍

北林加奈子


メインビジュアル:カワイハルナ

展示内テキスト:伊藤亜紗

企画 / サイト制作:吉野俊太郎

スペシャルサンクス:大石一貴、大野陽生、前田春日美

会場: